くるま屋日本橋 〜人力車発祥の地〜
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俥夫の社会と暮らし

海外で活躍した蒔絵人力車

俥夫間にも階層がありました。上から順におかかえ、やど、ばん、もうろうです。

●おかかえ

華族や政治家、医師などのお抱えの俥夫でその家の自家用車を引く俥夫です。定められた給料を月々貰えるので生活が安定しており、法被から足袋、蝋燭などの必要品や食事も主人持ち、おまけに住居も与えられるなどいいことずくめで、人力俥夫の中では羨望の的でした。収入は大体月給12〜15円ですが、行く先々で貰うご祝儀代を加えるとかなりの額になったと考えられます。繁昌する医者のおかかえ俥夫は月に34〜60円も貰っていたようです。ちなみに、然るべき地位にある雇い主の車だけに、その多くは胴の背面に高蒔絵の定紋をおいた丸胴の高級車でした。

●やど

車宿から雇われる俥夫のことで、挽子とも呼ばれました。街の交通の要所や花柳界には人力車の店舗があり、親方と呼ばれる主人が人力車をそろえ、俥夫を雇って営業をしていました。車宿は芸者屋・待合・料理屋などの客や芸者をお得意にした艶部屋と、ふつうの客、とりわけお屋敷をお得意にした堅気の車宿との二種類に分けられます。俥夫を何十人も抱える大きな店もありましたが、大方は数人の俥夫を雇う小規模のものが圧倒的に多かったようです。収入はおかかえと同様大体12〜15円で、部屋によってまちまちではありますが、ふつうその中から毎月の揚げ高の1割5分から2割を親方から差し引かれます。その他にも月々のお茶代・炭代などの割り前が必要です。食費は自分持ちで、こうして色々月末に差し引かれると、いくらも残りません。それでも住む部屋はあるし、大方の挽子は独身者だったため、そこそこ気楽な生活が出来ていたようです。

●ばん

人力車はみだりに路上で駐車したり、空車を引いてうろうろしてはいけないことになっており、公設または私設駐車場に梶棒をおろして客待ちをすることになっていました。番は人力車駐車場を拠点として組織されている株(権利)俥夫の集団で、この番に入っていない俥夫をもうろう俥夫と言って区別していました。

●もうろう

番に加入していない流しの俥夫は、もうろうと呼ばれました。