くるま屋日本橋 〜人力車発祥の地〜
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普及と暮らしへの影響

駕籠より速い人力車

明治3年12月、人力車は大阪に移入されるに従い、全国への普及を見せました。東京に次ぐ供給地として、大阪は大きな役割を持っていました。

健康な大人の徒歩速度は大体時速4キロ。これに対し人力車は時速8〜10キロで、およそ倍も速く走ります。運賃が安くスピードも速い人力車には対抗できず、1万ほどあった駕籠も3分の1に減ってしまいました。よって大方の駕籠屋は人力車俥夫へと転向せざるを得なくなりました。

長距離輸送における人力車の乗り方には2通りありました。1つは出入りの人力車を雇い、1日または泊まりを挟んで旅をする場合で、もう1つは先々で新しい人力車に乗り換えて旅行していく場合です。

後者は各地に中継地ができ、また道路が徐々に整備されたため可能となりました。しかしこれだけの旅をするには相当量の経費が掛かりました。