くるま屋日本橋 〜人力車発祥の地〜
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現在の日本橋

激変した川筋と橋の景観

昭和39年に建設された首都高速道路の高架構造物は、川筋の眺めを分断し、橋を上部から圧迫するなど、日本橋川をめぐる景観を激変させました。 高速道路はまた、橋詰広場を出入路に専有するなど、優れた橋のあり様を物理的に傷つけています。例をあげれば、江戸橋で2箇所、神田橋で3箇所の橋詰広場が出入路になっています。また、一石橋や堀留橋では、中央付近に出入路が接続されています。

新しい橋の登場

昭和30年代に入ると、橋の老朽化や地下鉄建設などのために、次第に架替が始まりました。平成14年初頭現在までに、11橋の架替がなされ、現在1橋が架替工事中です。

橋梁群は、日本橋川を中心とする景観軸において、さまざまな景観要素の中核を占めてきました。今ある橋梁群のうち保存すべき橋は何か、それをどのように保存するか、また橋梁群から引継ぐものは何か、それを架替橋梁にどのように表現するか、橋梁管理者である区、都、国は、早急にこれらの研究に協同で取組む必要があります。すべての管理者が共通の管理方針のもと、連携しながら橋梁群の維持管理にあたってほしいものです。

橋梁群の多様性が失われている背景には、橋梁と河川の技術者が深く係わっています。両技術者は、いずれも河川の中に構造物を設けるのを避けているように思えます。一方は、経済性を考えるあまりに、他方は管理基準を硬直的に運用するあまりに。

このような中、平成7年に架けられた新亀島橋は、架替橋梁のあり方について一つの回答を示しているように思えます。高張力鋼の独自の形は、橋梁群の中で新しい個性を主張しています。

求められる管理水準の維持

橋体の維持管理や橋詰広場の保存・活用など、橋梁群の管理水準を見ると、下流部と中・上流部とに大きな格差があります。一方には、適切なコンセプトのもと、優れたデザインで修景されている一群の橋があります。他方では、何の管理行為も加えず、荒れるにまかせた一群の橋があります。 橋の管理者である区、都、国に対しては、格差の生じている橋の管理水準を引上げること、好ましい管理水準を維持すること、そしてこれらに要する財源確保への取組みが厳しい財政状況の中で求められています。